「龍が如く」の登場人物たちが背負う刺青。
それは彼らの歩む運命、そして深層心理が込められているのを知っているだろうか?。
僕も長年、「龍が如く」シリーズをプレイしてきたイチファンだけど、刺青の意味がイマイチ何なのか分からないまま今日まで来てしまった。
ただ、登場人物たちの刺青が何を語っているのか、そのデザインに込められたメッセージに気づくことで、彼らの性格や運命がより鮮明に浮かび上がってくるんだ
この記事を読めば「初代龍が如く」に登場するキャラクターたちの刺青に込められた意味とそれを背負った彼らの運命が理解できると思うので、ゲームの世界を新たな視点で楽しんでみて欲しい。
桐生一馬
元東城会四代目会長の「堂島の龍」こと桐生一馬。
幼い頃に両親を亡くし、養護施設「ヒマワリ」で育ち、親友である錦山彰共に東城会に入門する。
性格は寡黙でクールだが、正義感と侠気は人一倍強い。情に厚く、困っている人を放っておけないが、口下手が災いしトラブルが絶えない。
忘れられがちなファンもいるかもしれないが、桐生一馬の出身地は横浜である。
引退後は沖縄で児童養護施設「アサガオ」を経営していたが、「5」ではタクシー運転手に転身し、「7外伝」では「大道寺」のエージェントとして活躍したりと多忙な日々を送っている。
そんな桐生一馬の背中に彫られている「応龍」は、中国の古書「山海経」に登場する動物「応龍」をモチーフとした刺青だ。
応龍は、中国神話では帝王である黄帝に仕えた龍の一種であり、その姿は龍に似ているが、背中にはコウモリや鷹のような翼があり、足には3本の指がある。また、応龍は雲を昇ることができ、天候を操る力があるとされている。
黄帝と蚩尤(しゆう)が争った際、黄帝の軍を援護し、嵐を巻き起こして敵軍を撃退したとされる。ただし、この行為が殺人に等しいとして神獣としての責務を問われ、応龍は南方へ隠棲せざるを得なくなった。
また応龍は四霊の一つである幻獣であり、出典によって異なるけど、黄龍と応龍が同一視されることもある。黄龍は東西南北の中心を守る龍とされている。
桐生一馬と応龍の意味
この桐生と背中に彫られた応龍に込められた意味は大まかに以下2つかな。
- 天候を操る力を持つ応龍は、桐生一馬の強さとカリスマ性を象徴
- 応龍は、雲を昇ることができることから、桐生一馬の困難を乗り越える力
①強さとカリスマ性
嵐や雨を操る力を持つ応龍は、桐生一馬の強さとカリスマ性を象徴している可能性がある。
桐生は親友の錦山の罪を被り親殺しの烙印を押され数々の嶋野など危険人物たちから命を狙われるけど、持ち前の強さで乗り切る。
また東城会四代目の座をすぐに降り、堅気になったとはいえ、彼の生き様は極道会の伝説と伝えられ彼の生きざまに憧れている人物たちは後を絶たない。
実際に「1」の田中シンジは桐生が破門になった後も協力者として手伝ってくれるし「3」の島袋力也も初めの頃は敵みたいな感じだってけど程なくして桐生のことを「兄貴」と呼んで舎弟みたいな感じで慕っていたり例を上げるとキリがない。
②困難を乗り越える力
絶対的な力がある応龍は最終的に南方に隠棲したように、桐生もまた最終的に日本の南、沖縄に移住する流れも共通している。
また応龍が去った後の中国の南方以外は日照り、つまり全く雨が降らない状態が起きるトラブルと同様に、桐生の去った後の神室町や東城会もまたトラブルが絶えない。
東城会内部の抗争や、神室町を巻き込んだ巨大な陰謀など、数々の困難を乗り越えてきた。その強さと不屈の精神は、多くの人々を勇気づけた姿もまた刺青に込められているのかもね。
それに親友の錦山や風間の親っさんなど、桐生の周りでは常に誰かが亡くなるのも運命と一言で片づけるには酷だが、その悲しみも乗り越える力があると思えばせめてもの救いなのかな?。
錦山彰
東城会直系の「錦山組」組長であり、桐生と同じ養護施設「ヒマワリ」で育った幼馴染。
桐生とは深い絆で結ばれた親友で彼と共に極道の世界に足を踏み入れた。不器用で口下手な桐生とは逆で交友関係深く顔が利くタイプだが桐生に対して少なからずコンプレックスを抱えていた。
錦の刺青の緋鯉(ひごい)は、観賞用として飼われている鯉の一種で、色彩や斑点など、体色を改良されたものを錦鯉(にしきごい)と呼ばれる。
鯉は、中国の伝説「急流を登りきれた鯉は龍になる」に由来し、「出世の象徴」として知られている。いわゆる登竜門のことだね
中国では「龍に化ける」と言われており、困難を乗り越えて成功を収めることの象徴とされている。
「鯉の滝登り」という言葉に代表されるように、激流にも負けず進んで行く強い魚の象徴でもあり、目的を成し遂げる強さと勇気、忍耐力を備え持つもののシンボルなんだ。
また鯉は、立身出世・金運上昇・商売繁盛の意味を込めて掛け軸にもよく使われている。
ちなみに僕が調べた(Google先生で)範囲だけど、この鯉の刺青は日本より海外で人気らしいよ。
錦山彰と緋鯉の意味
この錦山と背中に彫られた緋鯉に込められた意味は大まかに以下3つかな。
- 鯉は出世の象徴で錦山の野心と共通している
- 鯉の忍耐力は錦山の苦悩とリンクする
- 鯉はマイナスな意味もある
①竜門を昇る野心
鯉は「出世の象徴」として知られ、錦山の性格と共通した行動が見受けられる。
錦山は交友関係の広いタイプで「0」では要領が良く組織でのし上がるために色々考えながら行動している描写がある。
桐生がいない10年間で錦山組を持ち多くの組員を持ち若頭の新藤浩二や荒瀬、「3」に登場した神田など好戦的な組員が多い連中をまとめていた辺りは桐生にも負けない人望や手腕があっていいと思う。
また、鯉は龍門を昇る事でやがて龍になるとされ、「登竜門」は、中国の伝説「鯉の滝登り」が語源のことわざで、立身出世や成功を掴むための関門という意味が込められている。
桐生は既に龍を背負い、錦山や鯉を彫っていることから、桐生という竜門を昇ることで自分が龍になるんだという野心さもうかがえる。
②錦山の忍耐と苦悩
「鯉の滝登り」という言葉があるように、激流にも負けず進んで行く強い魚の象徴でもある鯉は、目的を成し遂げる強さと勇気、忍耐力のシンボルとされている。
これを錦山にあてると、組を持った当初、組長でありながら組員を統制できていなかったり、何かと桐生と比べられコンプレックスを感じている描写が多い。
さらに妹の主治医の裏切りなど桐生のいない10年間はネガティブなことが続いていた。
こう考えると錦山が野心家になったのは致し方がないのかもね。
③錦山の最後と鯉の意味
「鯉の滝登り」のようなポジティブな意味もあればネガティブな意味も込められているのが鯉。例を上げると、
- <生簀の鯉>
自由を束縛されていることのたとえ。また、死が待ち受けている運命のたとえ。 - <及ばぬ鯉の滝登り>
どんなに頑張ってもとうてい不可能なことのたとえ。
また、いくら望んでも見込みのない恋のたとえ。 - <まないたの鯉>
他人の意志に完全に委ねられた、選択の余地がない状況に置かれていることのたとえ。
といった感じで錦山とリンクする所が多い。特に「どんなに頑張ってもとうてい不可能なこと」の「及ばぬ鯉の滝登り」や「選択の余地がない状況に置かれていること」の「まないたの鯉」なんかはどこか「0」の錦山をイメージしてしまう。
錦山の鯉は、東城会にのし上がるための野心や出世欲の強さを持っている一方、由美を助けられず、組長になっても妹のためにお金を工面するために屈辱的なことがあっても我慢する所も背負ってしまったと考えると何とも悲しくなってくる・・・。
澤村由美
桐生一馬や錦山彰と共に児童養護施設「ヒマワリ」で育った親友。
天下一通りのバー「セレナ」でホステスとして働いていたが、東城会の堂島宗兵によって拉致された。駆け付けた錦山が堂島を殺害したことで助かるが、この出来事が原因で記憶を失って入院し、直後に病院から姿を消してそのまま消息不明となる。
その後、政治家の神宮京平と出会い、彼との間に娘である澤村遥という娘が誕生する。
そんな由美には左胸の辺りに月下美人の刺青が彫られている。
月下美人とは、サボテン科クジャクサボテン属に属する多年草の多肉植物で1年に一晩だけ、満月の夜に花を咲かせ朝にはしぼんでしまうという逸話が有名。花言葉は「儚い恋」、「強い意志」、「ただ一度だけ会いたくて」だが、実際には年に三回程度咲かせる事も可能らしい。
澤村由美と月下美人の意味
由美に彫られた月下美人に込められた意味は以下2つかな。
- 墓に夢とは桐生と関係している?
- ただ一度だけの花言葉は桐生に会えた
①儚い夢は桐生と・・・?
明確なプロポーズが無かったからあくまで想像上の話だけど、由美は桐生と一緒になりたかったんじゃないかな?。
というのも「極」のムービーで桐生に好意を抱いている描写が追加されて、セレナの客が誕生日に指輪をプレゼントしようと言われたが、由美は「そういうのは好きな人から貰いたい」と断ったんだ。
桐生からの指輪のプレゼントに喜ぶ由美の様子も、桐生への感情が示唆されていた。桐生もまた由美のことが好きだったみたいだし、「7外伝」でその思いを告げられなかったことを後悔している描写があったしね
②最後に桐生に合えたことが救い
初登場時はおとなしそうなイメージだったけど、物語の終盤、ミレニアムタワーの最上階のバー「アレス」で桐生と最愛の娘である遥と再会し、100億を始末しようとするも神宮に見つかりるが桐生と遥をかばう形で撃たれてしまう。
最期は桐生にもう一度会いたかったことを告げ息を引き取った。
月下美人の意味する花言葉の意味がここにも込められていることが分かるシーンだね。
嶋野太
東城会直径嶋野組の組長で真島吾朗の親父(おやじ)にあたる嶋野太。
彼は東城会屈指の武闘派で性格は豪快にして冷酷非道。一方で、戦略に優れた策士の一面も持ち合わせている。
そんな嶋野の背中に彫られた刺青は、でっかい虎にその周りを桜で囲まれたデザインをしている。
中国では虎は「百獣の王」と呼ばれ、権力や威厳、決断力と才知の象徴してる。
この虎の大きさにも実は意味があって、小さい虎の場合は、攻撃性や獰猛さ、大きな虎には、権力や威厳を強く表していると考えられている。
また虎は獰猛で危険、残酷な象徴でもあり、同じくらいの実力のもの同士が全力で戦うこと、実力の拮抗している龍と虎が激しい戦いをするという意味から「龍争虎斗(りょうとうこそう)」ということわざがあるぐらい危険な存在とされている。
ちなみに、虎の毛皮の色、黄金は金運を黒は「安定」を意味している。
一方、桜には優雅、純潔などの意味に日本の象徴ともされている。
桜の文様は幸先の良い「物事のはじまり」を意味している一方、一瞬にして散ってしまうことから「人生のはかなさ」の象徴とされている。
嶋野太と虎、桜の意味
嶋野と背中に彫られた虎、桜に込められた意味は以下3つ。
- 虎の獰猛さは嶋野の武闘派をイメージしている
- 支配力の象徴は嶋野の権威を彷彿させる
- 桜の儚さは嶋野の最後とリンクする
①虎の獰猛さと嶋野の狂暴性
嶋野の背中に彫られた虎はその力強い体つきと獰猛な姿勢から、彼の武闘派の一面を象徴していと言っていい。
「1」ではスターダストで返り討ちに合った組員を慰めるどころか痛めつけたり、部下を引き連れて風間たちを始末しようとするなど、敵味方関係なく攻撃的な描写が描かれている。
また「2」では韓国マフィア集団「真拳(ジングォン)派」への襲撃に風間とともに参加し上半身裸で撃ったりと、はたから見たらかなりヤバい奴だ。
この一件で堂島組は直系に昇格するほど勢力を拡大し事件から数年後に嶋野踏みが設立するきっかけにもなったんだ。
「0」でもに上野誠和会襲撃の件で東城会・柴田組長に逆らった真島を拷問部屋「穴倉」に送りこんだり、狂暴な性格は既にこの頃から健在だった。
②策士な面もある嶋野の権威
大きい虎には権力や威厳を強く表していると考えられているけど、嶋野の場合はどうだろうか?。武闘派って聞くと考え無しで敵に突っ込んでいくイメージがるけど嶋野は策士な面もある。
「1」では中華マフィア「蛇華」総統・劉家龍や、近江連合の幹部・寺田行雄と協定を結んで暗躍したり、錦山に精神的にボロボロになっていた時に「風間は桐生に組を持たせたがっていた」など言って闇落ちさせるきっかけを作ったりしていた。
「0」真島にマキムラマコトを殺すよう佐川を通じて命じているが、嶋野は真島がマコトを殺さず助けると読み、最終的に風間と日侠連総裁である世良勝との繋がりを暴くこと成功する。自分の手を汚さずに欲しいものだけを手に入れるのは頭が良くないとできない。
身長195cm、体重149kgと体が大きい嶋野は武闘派としての一面も合わせる一方、背中に彫られた大きい虎のように、権力や威厳などにも強いこだわりを持っているんだ。
③桜の儚さは嶋野の最期
もう一つ、嶋野の背中には桜が散りばめられているけど、優雅、純潔などの意味のほかに人生の儚さも意味しているんだ。
これを嶋野に置き換えてみると、物語の終盤辺りで芝浦の埠頭で、遥を捕えるため桐生と戦闘になるけど敗北。最後のあがきで手榴弾を投げた後に寺田にやられてしまう。注目すべきところは「寺田」で普通に考えると桐生が嶋野を撃っても良かったシーンだ。
嶋野と桐生は二度に渡って死闘を繰り広げた間なのに最期はちょい役の寺田にやられてしまったんだ。
この因縁の相手である風間や桐生以外の人間にあっさりと倒されてしまう辺りは桜のような人生の儚さをイメージしているのかな?。
特に風間とは長年のライバルみたいな描写もあったし(堂島宗兵を内心では「頭の足らん小物」と見下していたけど)。
嶋野の最期は風間や桐生ではなく寺田によって撃たれる形で幕を閉じる。
真島吾朗
東城会直系団体の真島組の組長で「嶋野の狂犬」の異名を持つ。
文字通り破天荒な性格で突拍子もない行動で桐生驚かせるが男気も溢れシリーズファンから人気の高い人物だ。
真島組の構成員も彼の予測不能な行動に振り回され、理不尽な暴力を受けることもあるが、真島の人望の高さからか、彼を恨んでいる構成員の声はあまり聞いたことが無い。
そんな真島の背中に彫られているのは般若、白蛇、桜の刺青。
般若は、仏教の教えの一つである「般若心経」に登場する女性の鬼の面。般若は、嫉妬や怒りなどの激しい感情によって、鬼と化した女性の姿を表している。
そのため、般若の刺青は、強さや怒り、嫉妬などの激しい感情を表すと考えられている。
般若には、仏教用語であり梵語(サンスクリット語)で智慧(ちえ)の意味もある。
なおこの般若は、女性の怨念の三段階のうちの二段階目の変化にあたる姿なんだ。
一段階目は「生成(なまなり)」といい、まだ角が生えきっていない、完全には鬼に染まりきっていない不完全体の存在。
二段階目がこの「般若」と呼ばれる状態で、まさに憎悪と嫉妬に囚われた鬼となる。中成(ちゅうなり)とも呼ばれている。
さらに三段階目になると究極の怒りを表現した「真蛇(しんじゃ)」になり、顔も髪が無くなり口が裂け、角が生えたほぼ蛇に近い姿に化ける。これは本成(ほんなり)とも呼ばれている。
白蛇は、その体が白いことから汚れの無い神聖な色ともされている。また白蛇は「神様の化身」や「神様の使い」と呼ばれ、幸運を呼び、芸事や学問、蓄財などの神様とされ富をもたらすとされている。
刺青じゃないけど真島は蛇柄のジャケットや蛇がデザインされた眼帯をつけていたりと蛇を好んでいるけど、蛇には脱皮を行うさまが「再生」を象徴するとされ、繁栄・成長に例えられることから縁起の良いものとして考えられている。
桜は嶋野と同じく優雅、純潔などの意味がある。
真島吾朗と般若、白蛇、桜の意味
真島と背中に彫られた般若、白蛇、桜に込められた意味は以下3つ。
- 般若の激しい感情は真島のクレイジーな一面を表現
- 白蛇の幸運は真島建設での成功と富を象徴
- 桜の「物事のはじまり」は真島の人生とリンクしている
①般若の嫉妬や怒りなどの激しい感情は真島のクレイジーさを表現している
般若の刺青には、強さや怒り、嫉妬などの激しい感情を表すと考えられているけど、これは真島のクレイジーで破天荒な性格と一致している。
「1」では組員を突拍子もなくボコボコにしたり、ある時はソープ嬢を人質に取って、自分の女にならないかと問いかけるが、彼女が他に好きな男がいると拒否されると正直者という理由で解放したりと、予測できないユーモラスな行動は、まさに般若の鬼の面とリンクしている。
「2」でも真島と桐生が対決するが寺田の葬儀の日に千石組が神室町に侵入してきた際に瀕死になりながらも、人で千石組全員を撃退させたり義理堅い所もある。
②白蛇の幸運は真島建設での成功と富を象徴
白蛇には幸運を呼び、芸事や学問、蓄財などの神様とされているけど、これは真島建設のことを指している可能性がある。
真島建設とは五代目会長・寺田行雄への不信から東城会を抜けカタギに転向した建設会社のこと。建設のノウハウのない組員がどうやって仕事ができているのか不明だけど神室町ヒルズ建設などの重要な案件を任されていたり、資金面でも東城会に多大な貢献をしている。
社訓?なのか真島曰く
- 「この程度の仕事、ネットで調べてとっとと建設や!」
- 「不眠不休で働けや!」
- 「文句を言う奴は給料無し、いや、ぶち殺したるでぇ!」
とかなりのブラック企業だ。ただ西田を始め、真島を慕っている組員が多いし、結果的に東城会にも多額の資金を収めていると考えれば真島の手腕の高さは間違いない。
③桜の「物事のはじまり」は常に真島に関わってくる
桜には「物事のはじまり」の意味もあるけど、これは真島の人生にリンクしている箇所が多い。
例えば「1」では桐生が出所後にどこにでも出現して勝負を仕掛けたり(どこでも真島のこと)、「2」では組を抜けて真島建設で堅気に転向、「3」では堂島大吾を支えるために東城会に復帰、「4」では冴島大河が刑務所を脱獄し神室町に帰ってきた事を知ると出迎え、襲撃事件の真実を伝えたりと、真島は常に物語の重要なポジションにいる。
また桜には「純潔」、「愛」といった意味もあってこれはマキムラマコトとの関係を示している可能性がある。
刺青の裏に隠された深い意味
といった感じで、刺青の奥深いメッセージを理解することで、ゲームの魅力が一層広がるんだ。
彼らの性格や背景に対する理解が深まり、物語の中で繰り広げられる出来事がよりリアルで感動的に映る。
「龍が如く」の世界に刻まれた登場人物たちの刺青の意味を知ることで、新たな視点でゲームを楽しむことができるので、興味を持ってくれた人は改めてプレイしてみるのも良いかもね。